Masuk遺跡は、森の最も古い一角にあった。
かつて「魔法帝国アストラル」が栄えた時代の遺構であり、今では蔦と苔に覆われた石柱と崩れかけた壁だけが、往時の栄華を偲ばせている。
セレインがそこに到着したとき、遺跡の中央にある祭壇から青白い光が噴き出していた。魔法陣が暴走している。空気が振動し、周囲の植物が不自然に成長と枯死を繰り返していた。
そして祭壇の前に、一人の少女が倒れていた。
人間の少女だ。年の頃は十五、六といったところか。粗末な旅装束を身に纏い、背中には古びた革の鞄を背負っている。栗色の髪が乱れ、額から血が流れていた。
セレインは状況を瞬時に理解した。
少女が遺跡に侵入し、何らかの理由で封印を解いてしまった。そして暴走した魔力に巻き込まれて意識を失ったのだろう。
「愚かな」
彼は小さく呟いた。だが足は既に動いていた。
杖を掲げ、古代語で詠唱を開始する。彼の専門は時空間魔法と植物魔法の融合領域だが、封印術の基礎も心得ている。暴走する魔法陣に対し、逆位相の魔力を注ぎ込んで相殺する。
青白い光が激しく明滅し、やがて静まっていく。魔法陣の暴走が収まり、遺跡は再び静寂を取り戻した。
セレインは少女のもとへと歩み寄った。
まだ息はある。脈拍も安定している。額の傷は見た目ほど深くない。魔力による一時的なショックで気を失っただけのようだ。
彼は簡易的な治癒魔法を施した。傷口が塞がり、出血が止まる。だがそれ以上のことはしない。彼女が目覚めるまで待つ必要はない。村まで運んでいけば、あとは村人たちが何とかするだろう。
そう考えて少女を抱き上げようとした瞬間――彼女の目が開いた。
「う……」
琥珀色の瞳。まだ焦点が定まっていない。少女は混乱した様子でセレインを見上げた。
「誰……?」
「動くな」
セレインは短く告げた。
「君は遺跡の魔法陣を暴走させた。一歩間違えれば命を落としていた。いや、それどころか森全体を巻き込む大惨事になっていた可能性もある」
少女は瞬きをした。それから自分の状況を理解したのか、慌てて身を起こそうとする。
「ご、ごめんなさい! 私、その……道に迷って、それで遺跡を見つけて……中に入ったら、石版があって、それに触れたら突然……」
「結果的に封印を解除した」
セレインは冷たく言った。
「古代遺跡の封印は理由があって施されている。好奇心だけで触れるべきものではない」
少女は項垂れた。だが次の瞬間、彼女は顔を上げてセレインをまっすぐ見つめた。
「でも、あなたが助けてくれたんですよね? ありがとうございます」
その言葉に、セレインは僅かに眉をひそめた。
感謝されるのは、慣れない。いや、正確には「久しぶり」だ。どれくらい久しぶりだろう。五十年? いや、もっと前か。
「礼には及ばない。ただの偶然だ」
彼はそう言って立ち上がった。
「君の村はどこだ? 送っていく」
「リムルの村です。でも、もう夜だし……大丈夫ですか?」
「エルフの夜目は人間とは比較にならない。問題ない」
セレインは少女に手を差し伸べた。彼女はその手を取って立ち上がる。
そのとき、セレインは気づいた。
少女の手が、異様に温かいことに。
エルフの体温は人間よりも低い。平均で摂氏三十四度程度。対して人間は三十六度から三十七度。たった二、三度の差だが、触れたときの感覚は大きく異なる。
まるで小さな暖炉に触れているようだ、とセレインは思った。
そして気づいた。ああ、そうか――これが「生」の温度なのだと。
激しく燃え、速やかに消えていく、刹那の炎の温度。
「あの……」
少女の声に、セレインは我に返った。
「何だ」
「お名前、教えていただけますか? 命の恩人の名前くらいは知っておきたいです」
セレインは一瞬躊躇した。だが断る理由もない。
「セレイン。セレイン・アルヴェリアスだ」
「セレイン様……」
少女は嬉しそうに微笑んだ。
「私はミラです。ミラ・エルトリア。よろしくお願いします!」
その笑顔に、セレインは何も答えなかった。
ただ無言で歩き出す。ミラは慌ててその後を追った。
リムル村までの道のりは、夜の森の中を進む静かな時間だった。
セレインは先頭を歩き、ミラはその後ろを必死についていく。月明かりの中、木々の影が揺れ、遠くで梟の鳴き声が響く。
「ねえ、セレイン様」
ミラが話しかけてきた。
「セレイン様はエルフなんですよね? 初めて会いました。エルフの方って、本当に長生きなんですか?」
「個体差はあるが、平均寿命は千年から千五百年だ」
「せ、千年!?」
ミラは驚きの声を上げた。
「それって……人間の十倍以上じゃないですか! すごい……」
「何が素晴らしいのか理解しかねる」
セレインは無感情に答えた。
「長く生きることは、必ずしも幸福を意味しない」
「でも、色々なことを経験できるじゃないですか。いろんな場所に行って、いろんな人に会って……」
「そして皆、去っていく」
セレインの言葉に、ミラは黙り込んだ。
しばらく沈黙が続いた。だがミラは諦めなかった。
「セレイン様は、どれくらい生きてるんですか?」
「五百六十年だ」
「ご、五百六十……」
ミラは目を丸くした。
「じゃあ、私のお婆ちゃんのお婆ちゃんのお婆ちゃんくらいの時代から生きてるんですか?」
「おそらくそうだろう」
「すごい……じゃあ、大昔の出来事とか、全部覚えてるんですか?」
「記憶は残っている。だが『大昔』という感覚はない」
セレインは立ち止まり、振り返ってミラを見た。
「君にとっての『昨日』は、私にとっての『五年前』に相当する。君にとっての『一年前』は、私にとっての『五十年前』だ。時間の流れ方が違う。理解できるか?」
ミラは首を傾げた。
「う〜ん……よくわからないです。でも、セレイン様にとって、私みたいな人間って、すごく慌ただしく生きてるように見えるんですか?」
「そうだ」
セレインは再び歩き始めた。
「人間は焦っている。まるで明日が来ないかのように。それは理に適っている――実際、君たちには時間がないのだから」
その言葉は冷酷に聞こえたかもしれない。だがミラは怒らなかった。むしろ真剣な表情でセレインの背中を見つめた。
「それって……寂しくないですか?」
セレインは答えなかった。
やがて、木々の向こうに明かりが見えてきた。リムル村だ。
村の入口で、セレインはミラと別れようとした。
「ここまでだ。あとは自分で帰れるだろう」
「あ、待ってください!」
ミラは慌ててセレインの袖を掴んだ。
「お礼、何もしてないのに……せめて村に寄っていって、ご飯でも食べていってください!」
「必要ない」
「でも!」
ミラは食い下がる。
「命を助けてもらったのに、お礼もしないなんて……私、気持ちが収まらないです」
セレインは溜息をついた。人間の「礼儀」という概念は、時に非常に面倒だ。
「では、借りができたということにしておこう。いつか私が何かを頼んだとき、それに応えてくれればいい」
「本当ですか!?」
ミラの顔が明るくなった。
「はい、約束します! 何でも言ってください!」
「では、さらばだ」
セレインは踵を返した。
「あ、待って! また会えますか?」
ミラの声に、セレインは答えなかった。
ただ夜の森の中へと消えていく。
ミラはその背中を、月明かりの中で見送った。
それから三日後、セレインの住処に珍客が現れた。
朝靄の中、誰かがユグノアの大樹の根元を訪れている気配がした。セレインが外に出ると、そこには見覚えのある少女が立っていた。
「ミラ?」
「おはようございます、セレイン様!」
ミラは満面の笑みで手を振った。背中には大きな荷物を背負っている。
「なぜここに?」
「探しました! 三日かかっちゃいましたけど……」
彼女は得意げに言った。
「村の古老に聞いたんです。『森の奥に、エルフの魔導師が住んでいる』って。それで、方角を頼りに……」
「無謀だ」
セレインは眉をひそめた。
「この森には危険な魔物も生息している。一人で歩き回るものではない」
「大丈夫です! 私、魔物には慣れてるから」
ミラは腰の短剣を叩いた。
「それより、セレイン様にお願いがあって来ました」
「お願い?」
「護衛です」
ミラは真剣な表情で言った。
「私、これから北の都まで旅をしなきゃいけないんです。でも一人じゃ危ないから……セレイン様、私の護衛をしてくれませんか?」
セレインは驚いた。いや、驚いたというよりは呆れた。
「断る」
「え!? でも、この前『何かを頼んだとき応えてくれればいい』って……」
「それは君が私に頼むという意味だ。逆ではない」
「そんな〜」
ミラはがっくりと肩を落とした。だが次の瞬間、彼女は真剣な目でセレインを見た。
「お願いします。私、どうしても北の都に行かなきゃいけないんです。お父さんが、病気で……都にしかない薬草を手に入れないと……」
セレインは少女の目を見た。
嘘ではないようだ。だが、それでも彼には関係ない。
「村の冒険者ギルドに依頼すればいい」
「お金がないんです……それに」
ミラは俯いた。
「セレイン様以外、信頼できる人がいないんです」
その言葉に、セレインは何かが引っかかった。
信頼。
三日しか会っていない相手に対して、なぜそこまで。
「君は愚かだ」
セレインは冷たく言った。
「私を信頼する理由がない。私は君を助けたが、それは森を守るためだった。君個人のためではない」
「でも、助けてくれたじゃないですか」
ミラは真っ直ぐにセレインを見つめた。
「それだけで十分です。セレイン様は、見ず知らずの私を助けてくれた。それって、優しいってことじゃないですか」
「優しさではない。合理的判断だ」
「でも、結果的に私は助かりました」
ミラは微笑んだ。
「理由がどうであれ、セレイン様は私の命の恩人です。だから、信頼します」
セレインは黙った。
この少女は、危険なほどに純粋だ。世界の残酷さを知らない。いや、知っていても、それでも人を信じることを選んでいる。
「……期間は?」
セレインが訊ねると、ミラの顔が輝いた。
「一年です! 北の都まで往復で、だいたい一年あれば十分だと思います!」
「一年か」
セレインは考えた。彼にとって一年とは、人間で言えば三週間程度の感覚だ。研究の合間の、短い散歩のようなもの。
そして何より――彼は思い出した。
この少女の手の温もりを。あの、生の炎のような熱を。
もう一度だけ、あの温もりに触れてもいいかもしれない。
どうせすぐに終わる。一年など、瞬きほどの時間だ。
「わかった」
セレインは言った。
「条件がある。旅の間、君は私の指示に従うこと。危険な行動は慎むこと。そして――」
彼は少女の目を見た。
「一年後、必ず別れること。それでいいか?」
「はい!」
ミラは嬉しそうに頷いた。
「約束します! 一年間、よろしくお願いします、セレイン様!」
こうして、セレインとミラの旅が始まった。
この旅が、彼らの人生を永遠に変えることになると――二人はまだ、知らなかった。
セレインが完全に回復するまでに一週間を要した。 その間、ミラは献身的に彼の看病をした。食事を作り、水を運び、時には魔力回復を助けるための薬草を煎じた。「ミラ、君は休むべきだ」 ある日、セレインが言った。「自分のことは自分でできる」「でも、まだ本調子じゃないですよね?」 ミラは心配そうに彼を見た。「私にできることがあるなら、やりたいんです」「……なぜ、そこまで」「だって、セレイン様は私のために……街のために、危険を冒してくれたんですから」 ミラは微笑んだ。「それに、セレイン様がいなかったら、私は今頃どうなっていたか……最初の遺跡で死んでいたかもしれないし、旅の途中で魔物に襲われていたかもしれません」「それは――」「だから、恩返しがしたいんです」 彼女は真剣な目で言った。「セレイン様が困っているときは、私が助けたい」 その言葉に、セレインは何も言えなくなった。 恩返し。人間特有の感情だ。だが同時に、それは絆を意味している。 与えられたものを返す。それは関係性の継続を意味する。 そしてセレインは気づいた。 自分は、その継続を――望んでいる。 一週間後、二人は再び旅を続けた。 シルフの渓谷を無事に越え、北方の山岳地帯へと入っていく。ここからは気温が急激に下がり、雪を見ることも増えてきた。「寒いですね……」 ミラは震えながら言った。厚手の外套を着ているが、それでも冷気は容赦なく体を冷やす。「北方の冬は厳しい。我慢できるか?」「大丈夫です」 ミラは歯を食いしばって頷いた。「これくらい、なんてことないです」 だが彼女の唇は既に紫色になっている。このままでは危険だ。 セレインは立
エルデンの街に到着したのは、旅の開始から二ヶ月が経った頃だった。 石造りの城壁に囲まれた中規模の交易都市で、北方への重要な中継地点として知られている。街の中心には大きな市場があり、様々な商人が店を構えていた。「わあ……!」 ミラは目を輝かせながら市場を見回した。「すごい人! こんなに賑やかな場所、初めて見ました!」「リムル村は小さな村だったからな」 セレインは淡々と言った。「ここで二日ほど滞在する。補給を済ませ、情報を集める必要がある」「情報、ですか?」「北方の天候と魔物の動向だ。この季節、シルフの渓谷を越えるのは危険が伴う」 二人は宿を取り、それぞれの用事を済ませることにした。セレインは冒険者ギルドへ向かい、ミラは市場で食料を購入する。「夕刻に宿で合流しよう」「はい! わかりました!」 ミラは嬉しそうに市場へと駆けていった。 セレインはその後ろ姿を見送り、それからギルドへと足を向けた。 冒険者ギルドは、街の中心近くにある大きな建物だった。中に入ると、様々な冒険者たちが依頼書を眺めたり、仲間と談笑したりしている。 セレインは受付に向かった。「情報が欲しい。北方の状況について」 受付の女性は、エルフの姿を見て僅かに目を見開いた。エルフが人間の街に来ることは珍しい。「北方……シルフの渓谷方面でしょうか?」「そうだ」「少々お待ちください」 女性は奥へと引っ込み、しばらくして地図を持って戻ってきた。「現在、渓谷付近では異常気象が報告されています。季節外れの吹雪や雷雨が頻発しており、通行は推奨されません」「原因は?」「不明です。ただ……」 女性は声を潜めた。「古代の魔法装置が暴走しているのではないか、という噂があります」「古代の魔法装置?」「はい。シルフの渓谷には、魔法帝国時代の気象制御装置が埋まってい
旅の準備は、ミラが思っていたよりも遥かに綿密だった。 セレインは出発の前に三日間を費やし、必要な装備と魔法道具を揃えた。防水加工された旅装束、魔物避けの結界石、応急処置用の薬草、そして詳細な地図。「北の都までは、通常ルートで徒歩三ヶ月。だが魔物の活動が活発化する季節を考慮すれば、四ヶ月は見ておくべきだ」 セレインは地図を広げながら説明した。「途中、エルデンの街とシルフの渓谷を経由する。どちらも補給地点として重要だ」「はい!」 ミラは熱心に頷いた。彼女の目は期待で輝いている。 セレインはその表情を見て、僅かに眉をひそめた。「勘違いするな。これは観光旅行ではない。危険が伴う」「わかってます」 ミラは真剣な顔で答えた。「でも、初めての長旅だから……ちょっとだけ楽しみなんです」「楽しみ、か」 セレインは呟いた。人間特有の感情だ。エルフにとって、旅は単なる移動でしかない。どれほど美しい風景も、千回見れば新鮮さを失う。 だがミラにとっては違う。彼女の人生で、この旅は大きな冒険なのだろう。「出発は明朝だ。今夜は村で休め」「セレイン様は?」「私は森で休む。明朝、村の東門で待っている」 ミラは少し寂しそうな顔をしたが、すぐに笑顔を取り戻した。「わかりました! じゃあ、明日、必ず東門に行きます!」 翌朝、東門にミラが現れたのは、約束の時刻よりも一時間早かった。「おはようございます、セレイン様!」 彼女は息を切らせながら駆け寄ってきた。「……早いな」「寝られなくて……」 ミラは照れくさそうに笑った。「ワクワクしちゃって、夜中に目が覚めちゃったんです」 セレインは溜息をついた。だが、その表情に怒りはなかった。「では、出発しよう」 二人は村を後にした。 朝の空気は清々しく、東の空が薄く染まり始めている。
遺跡は、森の最も古い一角にあった。 かつて「魔法帝国アストラル」が栄えた時代の遺構であり、今では蔦と苔に覆われた石柱と崩れかけた壁だけが、往時の栄華を偲ばせている。 セレインがそこに到着したとき、遺跡の中央にある祭壇から青白い光が噴き出していた。魔法陣が暴走している。空気が振動し、周囲の植物が不自然に成長と枯死を繰り返していた。 そして祭壇の前に、一人の少女が倒れていた。 人間の少女だ。年の頃は十五、六といったところか。粗末な旅装束を身に纏い、背中には古びた革の鞄を背負っている。栗色の髪が乱れ、額から血が流れていた。 セレインは状況を瞬時に理解した。 少女が遺跡に侵入し、何らかの理由で封印を解いてしまった。そして暴走した魔力に巻き込まれて意識を失ったのだろう。「愚かな」 彼は小さく呟いた。だが足は既に動いていた。 杖を掲げ、古代語で詠唱を開始する。彼の専門は時空間魔法と植物魔法の融合領域だが、封印術の基礎も心得ている。暴走する魔法陣に対し、逆位相の魔力を注ぎ込んで相殺する。 青白い光が激しく明滅し、やがて静まっていく。魔法陣の暴走が収まり、遺跡は再び静寂を取り戻した。 セレインは少女のもとへと歩み寄った。 まだ息はある。脈拍も安定している。額の傷は見た目ほど深くない。魔力による一時的なショックで気を失っただけのようだ。 彼は簡易的な治癒魔法を施した。傷口が塞がり、出血が止まる。だがそれ以上のことはしない。彼女が目覚めるまで待つ必要はない。村まで運んでいけば、あとは村人たちが何とかするだろう。 そう考えて少女を抱き上げようとした瞬間――彼女の目が開いた。「う……」 琥珀色の瞳。まだ焦点が定まっていない。少女は混乱した様子でセレインを見上げた。「誰……?」「動くな」 セレインは短く告げた。「君は遺跡の魔法陣を暴走させた。一歩間違えれば命を落としていた。いや、それどころか森全体を巻き込む大惨事になっていた可能性もある」 少女は瞬きをした。それから自分の状況を理解したのか、慌てて身を起こそうとする。「ご、ごめんなさい! 私、その……道に迷って、それで遺跡を見つけて……中に入ったら、石版があって、それに触れたら突然……」「結果的に封印を解除した」 セレインは冷たく言った。「古代遺跡の封印は理由があって施されている。好奇心だ
森は記憶している。 千年前の嵐を、五百年前の干ばつを、百年前の大火を。樹々は年輪に刻み、土は層に積み、風は種を運んで記憶を未来へと繋いでいく。だが森の奥深く、陽の届かぬ古木の根元に佇む者だけは、それらすべてを己の肉体で記憶していた。 セレイン・アルヴェリアス。 エルフの魔導師である彼にとって、この森での滞在はまだ「短い」部類だった。百二十年。人間ならば五世代が入れ替わる時間も、彼にとっては長い瞑想の一部でしかない。 彼の住処は樹齢二千年を超えるユグノアの大樹の根元に設けられていた。魔法で空洞を作り、蔦と苔で入口を覆い隠した簡素な空間。そこには魔導書と魔法陣、そして彼が長い歳月で収集した植物標本が整然と並んでいる。 セレインの手は、いま目の前の標本箱に収められた一輪の花に触れていた。エフェメラル・ブロッサム――朝に咲き、夕に散る幻の花。彼がこの森に来た最初の春に摘んだものだ。「百二十年前か」 彼は呟いた。声には感慨も郷愁もない。ただ事実を確認するように。 エルフの時間感覚は、人間のそれとは根本的に異なる。彼らの細胞分裂の速度は人間の十分の一以下であり、神経伝達物質の代謝回転も極めて緩やかだ。そのため主観的な時間の流れ――哲学者ベルクソンが「持続」と呼んだもの――が人間よりも遥かに引き延ばされている。 人間が「昨日」と感じる時間を、エルフは「つい先ほど」と認識する。 これは祝福であり、同時に呪いでもあった。 セレインは五百六十年を生きてきた。その間、彼は無数の出会いと別れを経験した。友と呼べる者もいた。師と仰ぐ者もいた。だが彼らのほとんどは人間であり、彼の主観ではまだ「つい最近」別れたばかりなのに、彼らはとうに土へと還っている。 だから彼は決めたのだ。もう誰とも深く関わらないと。 森の中で、ただ魔法の研究に没頭する。植物を観察し、星を読み、古代の魔法理論を解明する。それが彼の選んだ生き方だった。時間という絶対的な隔たりを前に、関係性を築くことの無意味さを悟った者の選択。 ユグノアの根元から外を見れば、夕陽が木々の間から差し込んでいる。琥珀色の光が浮遊する花粉を照らし出し、空気そのものが金色に染まっていた。 美しい光景だ、とセレインは思う。だが彼の胸に湧くのは静かな諦念だけだった。 この美しさもまた、永遠に続く。そして永遠に続くものは、







